百姓(ひゃくしょう)と聞くと「農家のことを百姓と呼んでいた」とか「士農工商の農が百姓」「水呑百姓」など、低い身分で農業をしていた人 的なイメージをもたれるのではないでしょうか?
古代日本において貴族、官人、公民、雑色人を一色単に百姓とされていました。この読みなが「ひゃくせい」、これには大和言葉の「おおみたから」の和訓がふられており、「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」という意味になるそうである。
百姓を農民と同じくする考えが浸透し始めたのは江戸時代からで、明治時代の国策として近代的な紡績が行われるようになり、百姓の副業として養蚕が盛んに行われるようになりました。そして食料需要を満たすための養鶏や単一野菜栽培なども副業となったのです。
そして、戦時中日本各地で行われてきた生業が農業に集約され、百姓は農家へと変化していったという歴史があります。
そのようなことからすると生活するために欠かせない生業が百姓(いわゆる農業)であり、社会を支えるとなる大切な土台とも言える部分です。それにしては今の社会では軽んじられている(大切さが分かっていない)ように思うのは僕だけでしょうか?
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