慣行栽培の「慣行」とは、古くから行われているいる方法や普通の習慣として行われている意味で、化学肥料や農薬を使いながら作物の増収を目的に育てていく方法です。 では、その慣行はいつからなのでしょうか?
ドイツの化学者・ユーストゥス・フォン・リービッヒは、植物は窒素・リン酸・カリウムの3要素が必須であるとし、生長の度合いは3要素の中でもっともあたえられる量の少ない養分によってのみ影響され、その他2要素がいくら多くても生長への影響はないと主張しました。
日本での化学肥料の歴史は、カーバイド(生石灰と石炭を高温で焼いて製造)から始まり、ドイツで開発された空気中の窒素を固着させる技術で「石灰窒素」を作りました。それは肥料にもなるし、火薬にもなる、また農薬にもなるという優れものです。
「石炭窒素」の毒性は強く、植物が枯れてしまうので、使いやすいようにしたのが、 硫安(硫化アンモニウム)です。
そうすると、目をつける人がいます。
国は国策として火薬(ダイナマイト)を利用目的で後押しし、また財閥との関係もあったのでしょう。今と似ていますね。 (原子力発電所稼働とプルトニウムの保有(米国)、海外資金援助と大手企業の優遇)
当時の財閥の動きは以下の通り
・鉱物の採掘ための鉱山開発や製造過程での電力確保の発電などに三井、古河が関与。
・東京瓦斯(東京ガス)が副産物を最初に肥料用アンモニアとして生産販売した。
・東京人造肥料、それが大日本人造肥料と改称して現在の日産化学工業(農薬商品: ラウンドアップ)になりました。
・東京電燈(現在の東京電力)と組んで、余剰電力を使った硫安製造に乗り出したのが 昭和肥料、現在の昭和電工(新潟水俣病発生)。
・旭ベンベルグ絹絲は、ダイナマイトを製造していた日本窒素火薬と合併し、 「日窒化学工業」と改称します。戦後、この会社が旭化成となりました。
・戦後の財閥解体の中で大財閥の日本窒素肥料は解散し、その水俣工場がチッソ (熊本水俣病発生)、延岡工場が旭化成、新潟工場が信越化学工業、そして プラスチック事業が積水化学になりました。
では、これらの会社が慣行農業の主軸である化学肥料と結びついているのでしょう。
工業製品を作るときに産業廃棄物として硫安アンモニウムが排出されるからです。
・コークスの製造に発生するコークス炉ガス中のアンモニアを硫酸液で吸収し、 副産硫酸アンモニウムとして回収する
・ナイロンの原料カプロラクタムの合成工程から副生硫酸アンモニウムを回収する
・アクリルアミドの合成工程から副生硫酸アンモニウムを回収する。
・石炭ボイラーから出た排気ガス中の亜硫酸ガスをアンモニア液で中和し、 副産硫酸アンモニウムを回収する。
企業側としては産業廃棄物にかかる費用がなくなり、反対に販売することができる。 また、化学肥料の原料を安く購入して販売することができるという仕組みなので、 化学肥料を使わなくなると困るのです。
そのために化学肥料を使った慣行栽培を慣行するように誘導していく訳です。 化学肥料を使わなければ企業から、かなりの圧力がかかるものと思われます。
それは土地が痩せ、生物や微生物に影響を与え、地球温暖化の原因になっていることより、企業利益が優先されているということですね。
上記を裏付ける宇部興産のニュースにありました。
「硫安の国内最大手である宇部興産とJA全農は、大粒硫安の増産について協議、検討を重ねてきましたが、このほど宇部興産ではカプロラクタムの副生物として生産する硫安の大粒化新製造ラインを建設することといたしました。新ラインは山口県宇部市の宇部ケミカル工場内に年間約6万tの製造能力を持ち、2018年4月の稼動を予定しています。」
「増産された大粒硫安は、JAグループを通じて単肥、BB肥料用の原料として全国の農家に供給する予定です。これにより、高品質な国産大粒硫安の安定供給と農家の生産コスト低減が可能となります。」
この仕組みが慣行栽培の仕組みですね。
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